もうお姉ちゃんの身代わりになりたくない

プロモーションを読み込み中...

もうお姉ちゃんの身代わりになりたくない

GoodNovel 完結

物心ついた頃から、私はずっと、亡くなった姉の身代わりだった。 小学校の入学を控えたある日、両親がランドセルを買いに連れていってくれた。 母は笑顔で私に尋ねた。 「青と赤、どっちがいい?」 私は青を選んだ。 その瞬間、母の顔から笑みが消えた。 母は私の肩を強くつかみ、取り乱したように叫んだ。 「どうして赤を選ばないの!?佳子(よしこ)だったら絶対に赤を選ぶのに!」 母がまたおかしくなったのを見た父は、いきなり私の頬を平手打ちした。 鼻から流れた血も、赤かった。 それ以来、何かを選ぶときはいつも、姉が好きだった赤を選ぶようになった。 ある日、学校で友達と遊んでいるうちに、長い髪に粘土が絡みついてしまった。 先生が仕方なく髪を切ってくれたのだが、迎えに来た母はそれを見るなり取り乱した。 「佳子は長い髪だった!あんたなんか私の娘じゃない!」 母は私を自転車から突き落とし、そのまま置き去りにした。 泣きながら必死に追いかけ、30分かけてようやく家にたどり着いた。 それから私は、母を刺激しないよう、何もかも姉の真似をするようになった。 そして大学受験。 全国トップクラスの成績を取った私に、母は地元の短大へ進学するよう命じた。 「佳子も昔、この学校に受かったの。だから、あなたもここに行きなさい!」 担任が説得しようとしても、母は聞く耳を持たなかった。 「佳子が死んでなかったら、この子は生まれてすらいなかったのよ。 どれだけいい成績を取ったって、何の意味があるの?」 取り乱す母を見つめながら、私はふと思った。 ――もう、どうでもいいや。 何もかもお姉ちゃんと同じにしなければならないのなら、18歳で人生を終えたことまで、私も同じにしなくちゃね。

チャプター (1)

第1章

物心ついた頃から、私はずっと、亡くなった姉の身代わりだった。 小学校の入学を控えたある日、両親がランドセルを買いに連れていってくれた。 母は笑顔で私に尋ねた。 「青と赤、どっちがいい?」 私は青を選んだ。 その瞬間、母の顔から笑みが消えた。 母は私の肩を強くつかみ、取り乱したように叫んだ。 「どうして赤を選ばないの!?佳子(よしこ)だったら絶対に赤を選ぶのに!」 母がまたおかしくなったのを見た父は、いきなり私の頬を平手打ちした。 鼻から流れた血も、赤かった。 それ以来、何かを選ぶときはいつも、姉が好きだった赤を選ぶようになった。 ある日、学校で友達と遊んでいるうちに、長い髪に粘土が絡みついてしまった。 先生が仕方なく髪を切ってくれたのだが、迎えに来た母はそれを見るなり取り乱した。 「佳子は長い髪だった!あんたなんか私の娘じゃない!」 母は私を自転車から突き落とし、そのまま置き去りにした。 泣きながら必死に追いかけ、30分かけてようやく家にたどり着いた。 それから私は、母を刺激しないよう、何もかも姉の真似をするようになった。 そして大学受験。 全国トップクラスの成績を取った私に、母は地元の短大へ進学するよう命じた。 「佳子も昔、この学校に受かったの。だから、あなたもここに行きなさい!」 担任が説得しようとしても、母は聞く耳を持たなかった。 「佳子が死んでなかったら、この子は生まれてすらいなかったのよ。 どれだけいい成績を取ったって、何の意味があるの?」 取り乱す母を見つめながら、私はふと思った。 ――もう、どうでもいいや。 何もかもお姉ちゃんと同じにしなければならないのなら、18歳で人生を終えたことまで、私も同じにしなくちゃね。 第1話 短大からの合格通知が届いた日、家の前には何人もの記者が押しかけていた。 母が玄関を開けた途端、マイクとカメラが一斉に向けられる。 「全国模試で一位になった小林さんのお母様ですよね?短大への進学は、本人が希望されたことなのでしょうか?」 「亡くなったお姉さんの心残りを埋めるために、妹さんの将来を犠牲にするのはあまりにも酷ではありませんか?」 その質問を聞いた瞬間、母は逆上した。 記者たちを力ずくで追い払い、玄関のドアを叩きつけるように閉める。 そして私の腕をつかむと、そのまま姉の仏壇の前まで引きずっていき、無理やり跪かせた。 「小林愛佳(こばやし あいか)!あの記者たち、あんたが呼んだんでしょ! 佳子が生きていた頃に行きたがっていた学校に行かせてあげるっていうのに、何がそんなに不満なの!」 父も怒りに任せて、手にしていた湯呑みを床へ叩きつけた。 「俺たちに逆らいたいからって、カンニングまでして一位を取ったのか? 佳子なら、そんな卑怯なことは絶対にしなかった!」 その言葉を聞いた瞬間、あまりの絶望に笑いそうになった。 中学生になって、急に勉強のコツをつかんだ時期があった。 初めて学年一位を取った私は、きっと両親も喜んでくれると思いながら家に帰った。 けれど、待っていたのは褒め言葉ではなく、酷い折檻だった。 「佳子はいつも中くらいの成績だったのよ!それなのに、どうしてあんたが一位なんて取れるの!」 それ以来、姉より目立って両親を刺激しないよう、私はわざと点数を調整するようになった。 けれど、人生を左右する大学受験だけは違った。 私は初めて、持っている力をすべて出し切った。 それなのに両親は喜ぶどころか、私の進路希望を勝手に書き換えた。 そのうえ、私が不正をして好成績を取ったとまで決めつけた。 「……カンニングなんてしてない」 私はゆっくり顔を上げた。 「お姉ちゃんがいい成績を取れなかったからって、私まで取れないとは限らないでしょ」 背筋を伸ばし、生まれて初めて両親に言い返した。 まさか私が反抗するとは思っていなかったのだろう。 母は一瞬、言葉を失った。 「あ、あんた……!」 私を指さしたまま、しばらくそれ以上の言葉が出てこない。 結局、母は私を姉の部屋に閉じ込めると、先ほどの記者たちを追いかけて外へ飛び出していった。 やがて、玄関の向こうから母の声が響いてきた。 「娘が共通テストで不正をしました!母親の私が実名で告発します!」 まるで自分こそが正しいと言わんばかりの声だった。 それを聞きながら、私は笑った。笑っているはずなのに、涙が止まらなかった。 薄暗い部屋の中。 遺影の姉が、じっと私を見つめているような気がした。 幼い頃、罰として一人で姉の仏壇の前に正座させられるたび、私はあの遺影が怖くて泣いていた。 けれど今は、姉の目をまっすぐ見返すことができる。 私は小さな声で呟いた。 「……お姉ちゃんが羨ましい。 死んでもう20年も経つのに、お父さんもお母さんも、まだこんなにお姉ちゃんのことが大好きなんだね」 少し間を置いて、私は笑った。 「私も死んだら……同じくらい愛してもらえるのかな」 遺影の姉は何も答えない。 ただ、何の悩みもなさそうに笑っていた。 姉が笑うと、右の頬には深いえくぼができる。 私にはない。 だから母は、私が自分の前で笑うことさえ許さなかった。 姉は活発な子だったらしく、暇さえあれば外へ遊びに行っていたという。 だから私が家で本を読んだり絵を描いたりしていると、母は本を破り、筆をへし折った。 「佳子は家でじっとしてるような子じゃなかった!」 そう言って私を外へ追い出し、日が暮れるまで家に入れてくれなかった。 誕生日でさえ、自分の誕生日を祝ってもらった記憶はない。 祝うのは、いつも姉の誕生日だった。 ケーキも必ず、姉が好きだったマンゴー味。 私はマンゴーアレルギーなのに。 ろうそくの火を吹き消すときには、必ず向かい側に姉の遺影が置かれていた。 願い事も決まっていた。 ――お姉ちゃんが、あの世で幸せに暮らせていますように。 18年間、ずっと姉の代わりとして生きてきた。 そのせいで私は、自分が本当は何が好きで、どんな人間なのかすら分からない。 そんな私を―― 両親が愛してくれるはずなんて、ないよね。 暗闇の中で、どれくらいそうしていたのだろう。 突然、部屋のドアが開いた。 廊下から差し込む光を背に、父が立っていた。 ひどく疲れた顔をしている。 そして私を見るなり、淡々と言った。 「愛佳。母さんに謝ってこい」 第2話 「佳子が亡くなってから、お前の母さんはずっと精神的に不安定なんだ。 もう歳も歳なんだから、お前が少し大目に見てやってくれ」 私はもう何も言い返さなかった。 感情を失ったまま部屋を出て、これまで何度となく繰り返してきた言葉を口にする。 「お母さん、ごめんなさい。 言い返したりして……勝手にいい成績を取ったりして、本当にごめんなさい」 母が振り返る。けれど、その目は私を見ていなかった。 ――まただ。 母はまた、私をお姉ちゃんだと思い込んでいる。 「もう、佳子ったら。何を謝ってるの?」 母は優しく笑った。 「ほら、ご飯にしましょう。佳子の好きなもの、いっぱい作ったから」 母は私の手を引いて食卓まで連れていくと、次々と料理を取り分けてくれた。 正気の母からは、絶対に受けられない扱いだった。 普段の私の席は、料理から一番遠い席。 父と母は、姉の写真を挟むようにして座る。 食卓に一本しかない骨付き鶏もも肉。 一番柔らかい豚肉。 スイカの真ん中の、一番甘いところ。 おいしいものは、いつだって全部お姉ちゃんのものだった。 私がそれを食べられるのは、母が私を佳子だと思い込んでいるときだけ。 食事が終わると、母は私を姉の部屋へ連れていった。 ふかふかのベッドに私を寝かせ、丁寧に布団を掛けてくれる。 そしてベッドの端に腰掛けると、私の背中を優しく、一定のリズムで叩き始めた。 「安心しておやすみ。お母さんがそばにいるからね」 姉は幼い頃から、こうして寝かしつけてもらっていたらしい。 暗いところが怖くて、一人では眠れなかったから。 毎晩、眠りにつくまで母がそばにいたという。 私が6歳の頃。 窓の外で鳴り響く雷が怖くて、どうしても眠れなかった夜があった。 私は枕を抱えて姉の部屋へ行き、母に一緒に寝てほしいと頼んだ。 すると母は血相を変え、私を玄関の外へ突き飛ばした。 「まだ小さいくせに、お姉ちゃんとお母さんを取り合おうとするなんて! あんたみたいなわがままな子、私の娘じゃない!」 あの夜、私は声が枯れるほど泣き続けた。 母が家の中に入れてくれたのは、空が明るくなってからだった。 今、ようやく与えられた母のぬくもりを感じながら、私は心の中で静かに数える。 五。 四。 三。 二。 一。 その瞬間。 母のぼんやりしていた瞳に、突然意識が戻った。 さっきまで慈愛に満ちていた眼差しが、一瞬にして憎悪へと変わる。 「……なんであんたが佳子のベッドにいるの? この子がこの世に残した最後の居場所まで奪うつもり?今すぐ出ていきなさい!」 母は私の腕をつかみ、ベッドから引きずり下ろした。 私は慣れたものだった。 母がスリッパを投げつけてくるより先に、部屋から逃げ出した。 そして、自分の部屋へ戻る。 もともとは物置だった、私の部屋。 明るくて暖かな姉の部屋とは比べものにならないほど粗末だった。 一年を通してほとんど日が差さない。 薄暗く、湿気がこもりやすいせいで、私は何度も湿疹を繰り返していた。 以前、あまりの痒さに耐えきれなくなって、両親に引っ越したいと頼んだことがある。 姉の部屋が欲しいわけじゃない。 広い部屋だっていらない。 ただ、少しでも日の当たる部屋で暮らしたかった。 経済的に無理なわけでもなかった。 それなのに、父は何も言わず私の頬を平手打ちした。 母は怒りのあまり、私を指さす手を震わせていた。 「この家は、佳子が生きていた場所なのよ! 引っ越したら、佳子が帰ってきたときに家が分からなくなるでしょう! あんたはどうしてそんなに自分勝手なの?」 結局、私はまた狭苦しい物置へ戻るしかなかった。 しかも、この部屋でさえ完全に私のものではない。 部屋の3分の2は、姉の遺品で埋め尽くされている。 昔使っていた電子ピアノ。 遊んでいた人形。 履いていたローラースケート。 どれも今では埃をかぶっている。それでも、私は指一本触れることを許されなかった。 そこにはまだ「佳子の匂い」が残っているから。 私が触れれば、それが消えてしまうから。 母をなだめ終えたあと、珍しく父が私の部屋に入ってきた。 「学校にも確認した。お前が不正をした事実はなかったそうだ」 「……」 私は答えず、ただ父を見つめた。 「愛佳。佳子は大学の入学式を目前にして亡くなった。それが母さんにとって、一生消えない傷なんだ」 父は当然のことのように続けた。 「どれだけいい成績を取ろうと、お前は佳子が行くはずだった短大に進学する。それがお前の運命なんだ。受け入れろ」 暗闇の中で、私は小さく笑った。 「……分かった。受け入れるよ」 その答えに満足したのか、父は何も言わず部屋を出ていった。 遠ざかっていく父の背中を見つめながら、私は心の中で続きを呟いた。 ――うん。受け入れる。 だったら最後まで、お姉ちゃんと同じ運命を辿ってあげる。 私も、入学式の前日に、溺れて死ぬから。 第3話 亡くなった姉の「新たな門出」を祝うため、両親は盛大な進学祝いの席を設けることにした。 そして私は、佳子の代わりとしてそこに出席することになった。 母はこの日のために、姉が生前好んで着ていたものと似た服をわざわざ用意していた。 20年も前に流行ったデザイン。当然、今ではすっかり時代遅れだ。 しかも、母が古着屋や親戚からかき集めてきた中古品ばかり。 襟元がよれているものもあれば、袖口から糸がほつれているものもある。 どの服にも、染みついたような古い匂いが残っていた。 子供の頃は、そんな服を無理やり学校に着ていかされるたび、陰でクラスメイトに笑われた。 けれど今は、もう何とも思わない。 言われるがまま、黙って袖を通した。 私の姿を見た瞬間、母の目に涙が浮かんだ。 分かっている。 母は今も、私を見ているんじゃない。 私を通して、佳子を見ているのだ。 その愛情に満ちた眼差しが、本当の私に向けられたことなど一度もない。 「当日はあんまりニコニコしないで。でも、ちゃんと愛想よくするのよ。 佳子は叔父さんと叔母さんに特に懐いてたんだから、二人とはちゃんと話してね」 母は一つひとつ、念を押すように言い聞かせてくる。 まるで私が少しでも失敗すれば、佳子ではないことがばれてしまうとでも思っているかのように。 そうなれば、みんなが見ている20年前の夢から覚めてしまう。 でも母は知らない。 18年間も佳子を演じ続けてきた私にとって、その仕草も、話し方も、振る舞いも、とうの昔に身体へ染みついている。 今ではきっと、本人以上に「小林佳子」がどんな人間だったのかを知っている。 …… 進学祝いの当日。 集まった親戚たちは、私を見るたび懐かしそうに目を細めた。 「愛佳ちゃん、本当に佳子ちゃんそっくりね……」 「もう20年か。早いなあ。あの頃の佳子も、こんな服を着て俺たちを迎えてくれたっけ」 「そうそう。頭の回転が速くて、口も達者で。挨拶だって次から次へと出てきてね」 誰もが私を見ながら、佳子の思い出を語っていた。 昔からずっとそうだった。 親戚と会うたびに―― 「愛佳ちゃんも赤が好きなのね。佳子ちゃんと同じ」 「髪型まで佳子ちゃんそっくり」 「じっとしていられないところも一緒ね。佳子ちゃんも、暇さえあれば外へ遊びに行ってたもの」 そう言われ続けてきた。 幼い頃の私は、そのたびに心の中で必死に否定していた。 違う。 私は、お姉ちゃんとは全然違う。 赤なんて好きじゃない。 長い髪だって好きじゃない。 外へ遊びに行くより、家で静かに本を読んだり、絵を描いたりしていたい。 それが、本当の私だった。 ……少なくとも、昔はそう思っていた。 けれど歳を重ね、佳子として生きる時間が長くなるにつれて、自分でも分からなくなっていった。 私は本当は、何色が好きだったんだろう。 時間があれば、何をしたかったんだろう。 どんな料理が好きだった? もし最初から佳子がいなかったら。 もし私が、両親にとって最初の娘だったなら―― 私は、いったいどんな名前をもらっていたんだろう。 「愛ちゃん!」 突然、背後から若い男の人の声がした。 驚いて振り返る。 そこにいたのは、叔母の息子――私より3歳年上の従兄、佐藤蓮(さとう れん)だった。 この場にいる親戚の中で、唯一、生前の佳子を知らない人。 そして唯一、昔から「愛ちゃん」と呼んでくれる人だった。 蓮兄ちゃんは3年前、県外の大学へ進学した。 それ以来、一度も会っていない。 「久しぶり、愛ちゃん」 昔と変わらない笑顔で、蓮兄ちゃんは私の頭をくしゃっと撫でた。 そして、一つの箱を差し出す。 「これ、進学祝い」 私は呆然としながら受け取り、箱を開けた。 中に入っていたのは―― きちんと揃えられた、高価そうな画材一式だった。 蓮兄ちゃんは少し照れくさそうに頭をかいた。 「小さい頃、絵を描くのが好きだっただろ?今も使うか分からないけどさ」 「……」 続いて、もう一つ紙袋を差し出してくる。 「こっちは母さんから。 大学生になるんだからって、若い子に似合いそうな服を選んだんだってさ。 気に入ってくれるといいんだけど」 私はゆっくりと紙袋の中を覗いた。 淡い水色のワンピース。そして、真っ白な半袖のシャツ。 どちらも、ごく普通の服だった。 古くもない。 佳子が好きだった服でもない。 18歳の私が着るために選ばれた服。 ただ、それだけだった。 なのに―― 視界が一瞬で滲んだ。 顔にはまだ、「佳子」の笑顔が貼りついている。 こんなとき、小林愛佳なら何て言うんだろう。 どんな顔をするんだろう。 必死に思い出そうとした。 けれど―― 何一つ、思い出せなかった。 そうか。 私は別に、入学式の前日まで待って溺れ死ぬ必要なんてなかったんだ。 本当の小林愛佳は―― とっくの昔に、死んでいた。 今ここにいる私は、ただの出来損ないの「小林佳子」にすぎない。 第4話 私はまるで動かなくなったロボットのように、その場に固まっていた。 いつまで経っても何も言わない私を見て、蓮兄ちゃんが不安そうに顔を覗き込む。 「どうした?気に入らなかった?」 私の顔を見たあと、叔母のほうへちらりと視線を向けた。 「もし好みじゃなかったら、食事が終わってから交換しに行こう。愛ちゃんが好きな服を選べばいいから」 私は鼻をすすり、笑って首を横に振った。 「ううん。すごく好き。 ……ありがとう、蓮兄ちゃん」 目元が赤くなっていることに気づいたのだろう。 蓮兄ちゃんは小さくため息をついた。 「愛ちゃんのこと、母さんから聞いたよ」 そう言って、私の肩を軽く叩く。 「伯母さん、佳子ちゃんが亡くなってからずっと精神が不安定なんだろ? だからって、愛ちゃんがずっと我慢しなきゃいけないわけじゃない。 短大に入ったら、まずはしっかり勉強しろ。それから4年制大学に編入を目指す方法だってある。 まだ18歳だろ。人生はこれからなんだから」 蓮兄ちゃんは優しく笑った。 「俺は、愛ちゃんならきっと大丈夫だと思ってるよ」 その言葉を聞いた瞬間、顔に貼りつけていた笑顔が崩れそうになった。 ――私にも、本当に未来があるの? お姉ちゃんの仮面を捨てて、ただの「小林愛佳」として、生きていく未来が。 その答えを知ったのは、その日の夜だった。 家に帰るなり、母は蓮兄ちゃんからもらった画材を箱ごと窓から投げ捨てた。 絵の具が地面に叩きつけられ、色とりどりの染みが広がっていく。 まるで、高いところから落ちた人間から飛び散った血のようだった。 私は慌てて窓際へ駆け寄った。 けれど、何かを言うより先に、母は紙袋から服を引きずり出した。 カチッ。 ライターに火がつく。 小さな炎が、ワンピースの裾へ燃え移った。 揺らめく炎が、怒りに歪んだ母の顔を赤く照らしている。 「誰がこんなもの、もらっていいって言ったの? 佳子は絵なんて描かなかった!こんな服だって持ってなかった! それなのに、どうしてこんなものを家に持ち帰ってきたの?」 蓮兄ちゃんの言葉が頭をよぎった。 ――人生はこれからなんだから。 その瞬間、18年間押し殺してきたものが、とうとう堰を切った。 「小林佳子はもう死んだの!」 母の動きが止まった。 「死んだんだよ!」 私は喉が裂けそうなほど叫んだ。 「私は小林愛佳!ちゃんと生きてる、一人の人間なの! 好きなものだってある!やりたいことだってある!私には私の人生があるの!」 涙で視界が滲む。 それでも、もう止められなかった。 「お姉ちゃんは18歳で死んだ! 私は18年間もお姉ちゃんの代わりをやってきた! それでもまだ足りないの?」 返事の代わりに飛んできたのは、頬を打つ激しい平手だった。 身体が床へ倒れ、その勢いで背中が仏壇にぶつかる。 ガシャン―― 姉の遺影が床へ落ちた。 額縁のガラスが砕け散る。 写真の中の佳子と、目が合った。 母は全身を震わせながら私を指さしていた。 「よくも……、よくもそんなことが言えたわね……!」 次の言葉は、刃物よりも鋭く胸に突き刺さった。 「佳子が死んでなかったら、あんたなんてこの世に生まれてすらいなかったのよ! 佳子が生きられなかった人生を、どうしてあんたが代わりに生きていいの?」 母が私を愛していないことなんて、とっくに知っていた。 分かっていたはずなのに。 実際にその言葉を聞いた瞬間―― 胸の奥で、何かが少しずつ砕けていった。 私は床に仰向けになったまま、動けなかった。砕けた額縁の破片が手のひらに食い込み、赤い血が流れ出す。 けれど、母はそんな私には目もくれなかった。 泣きながらその場に膝をつき、姉の写真を大切そうに抱き上げる。 「佳子……私の佳子…… 痛かったでしょう?ごめんね。お母さんが別の場所に移してあげるからね」 母は姉の遺影を胸に抱き、私の横を通り過ぎていった。 最後まで、私を見ることはなかった。 父も慌てて上着をつかみ、母を追いかけて家を出ていく。 バタン――! 玄関のドアが激しく閉まった。 私は静かに目を閉じた。 そして心の中で、蓮兄ちゃんに謝った。 ――ごめんね、蓮兄ちゃん。 蓮兄ちゃんが言ってくれた「素敵な未来」まで、私はもう、たどり着けそうにない。 母に燃やされたワンピースは、裾が黒く焦げていた。 まるで、枯れてしまった花びらみたいだった。 私はそのワンピースに袖を通した。 そして、開け放たれた窓を見つめる。 そのとき、ふと思った。 ――やっぱり、お姉ちゃんと同じように溺れて死ぬのはやめよう。 人生の最後くらい、「小林佳子」ではなく、「小林愛佳」として終わりたい。 それが私にできる、最初で最後の、小さな反抗だった。 私は窓辺へ向かった。 最後にもう一度だけ、18年間暮らしてきた家を振り返った。 そして―― 静かに目を閉じた。

More GoodNovel Novels